親父が逝った日、アコギをポロンと弾いて
ざっくり1曲作ってから実家へ向かった・・・のよ。
きっとこの曲は親父の歌になるだろうと思い込んでね。
歌詞は後で書こうと思ってたわけ。
きっと唄いたいことあるだろう・・・とね。
でも、逝ってしまった親父に対して唄う事なんて何もない事に気が付いた。
もう僕の世界には存在しないし・・・単純に居ないのよね。
普段の生活に戻ると、存在しててもしてなくても基本大差ないわけ。
一緒に生活していたり、近くに居たりしてれば、また別なんだろうけどさ。
イマイチ、リアリティがない。
親父の癌が発覚し、こりゃ~もう手遅れだろう~どう考えても・・・って、
もうそんなに持たないなって思った時は、唄う事あったんだよ。
その時は親父は生きてて、これから無謀な闘い?を挑むところだったから、
親父のこれまでの人生について考えたり、評価したり・・・
どんどん弱っていくだろう親父を想像して、いろいろ思ったりしたわけさ。
そうなると唄いたい言葉がどんどん出てきて・・・唄う意味も僕にはあったしね。
で、「枯れて行く命の切なさと」や「ウィズ・ユー」を書いたわけさ。
それは、親父の現状をリアルに感じることが出来たからだよね。
逝っちまったら何を書くのさ?
全て終了してしまったら葛藤も何もない。
葬式も終わって、いや~親父らしい良い葬式だったなぁ~言うことなしだ!!
親父も自分の最後の演出に大満足してるに違いない・・・とか思ってさ。
そしたら、それで思い切り完結してしまった。
・・・唄う事なんて何もない・・・。(笑)
そんなもんだよねぇ~。
現状に不満や期待や葛藤があるから唄うわけで
それは相手(唄う対象)が生きてるからこそなんだよね。
今を唄おうとするから意味がある。
だから、なんか違うなぁ~と思って・・・唄う意味ないやと・・・。
そんなわけで、やめた。(爆)
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