初めて死という言葉を耳にしたのは、たぶん小学低学年の頃。
よく一緒に遊んでた友達、つまりはクラスメートの死だった。
丁度、僕は風邪か何かで学校を休んでいたので、
その一報は家で親から聞いた。
確か盲腸(虫垂炎)を放置してしまって手遅れになったとかだったと思う。
正直に言うと死という言葉はピンと来なかった。
「○○ちゃんが死んだ」と言われてもピンと来ないもんだから、
あぁ~そうなんだ・・・って思ったのを覚えている。
葬式にも出席した。
クラスメート達はみんな泣いていた。
何故泣いているのか?理解出来なかった。
死とはどういうものなのか?
存在が無くなるとはどういう事なのか?
全然ピンと来なくて・・・呆然としていた。
その後で、夢を見た。
夢の中で○○ちゃんがいた。
小学校の教室にごく普通に○○ちゃんがいた。
いつものように一緒に遊んだ.
でも、途中で気が付いてしまった。
あれ?死んだのにここに居ちゃダメなんじゃないの?
僕はそう言って、他の人にも教えてあげようとした。
○○ちゃんは、教えちゃダメって・・・
という夢を見たことを強烈に覚えている。
中学生になると母方の祖父の死を迎える。
危篤の知らせが入り、祖父が入院している病院へ駆けつけた。
僕にとって死は不思議なものであり、理解し難いものだった。
その時僕が望んだ事は死の瞬間を見たいって事だった。
だからその瞬間が来たら絶対に起こしてとお願いしていたのに
起こしてもらえず、目が覚めた時にはすでに事切れていた。
その瞬間に立ち会えなかった事にすごく腹を立てていた記憶がある。
たぶん、その瞬間を見たら少しは理解出来るような気がしていたのだ。
親父の死も正直ピンと来なかった。
悲しいという感覚もなかった。
葬式の時に喪主の母親の代わりに挨拶をした時に、
お決まりの文言を読み上げるのを途中でやめて、
自分が思っている事を話した時に、ちょっとグッと来るものがあり、
感情がちょっとだけ顔を出したような気がした。
ちょっと思ったのが、もしかして考えるより先に感情が揺さぶられて
涙を流すのが普通なのか?
理屈じゃないんだ・・・きっと。
というような事を書いてみると、ほんとバカだなと思う。
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