初七日の後、みんなで会食をしていたとき、
お袋は住職にこんな質問をした。
「妹がお経を唱えたらと気持ちが落ち着き不思議な感じがしたと言った」
「これには何か意味があるのでしょうか?」
住職は「お経の意味ですか?」と聞きなおす。
お袋は「いやいや、妹が感じたことの意味です」
住職は笑いながら「どう感じるかはその人の感覚ですから妹さんに聞いてください」
僕は密かに爆笑した。
お袋は何を期待していたのだろう?(笑)
お経を唱えて気持ちが落ち着くメカニズムは予想がつく。
ほぼワンパターンのリズムとメロでループし続けるのがお経だ。
更に、意味不明の言葉を唱えている。
書かれている言葉を追うだけで精一杯。
思考の入る余地などないのだ。
ひとつの作業に集中し続けるわけだから、そりゃ~気持ちも落ち着くだろう。
とか、考えならお経を目で追うと、今どこを読んでいるのか見失うわけさ。(爆)
誰かが「臨死体験とかでお花畑が見えて・・・とか聞くけど、どうなんですかね?」
と住職に酔った勢いで聞く。
住職も困ってしまう。(笑)
更に誰かが「先祖の霊とかが来てるのが見えるとか、それはどうなんすかね?」
と続ける・・・まったく困ったおばさん達だ。
住職は「見える人にはそれは真実でそれを否定する事はできないけど
僕は見たり感じたりすることは出来ないですから・・・」
そりゃそうだ!
「不思議なことはありますから・・・それは違うと決め付けはできませんけど・・・」
「仏教の教えでは霊魂とかそういうのないんですよ」
坊さんが霊だのなんだと言い出すと絶対うさんくさいと思うわけ。
それ違うでしょ!って思うのよね。
住職も変なことばかり聞かれて大変だ。(爆)
臨死体験のイメージってのは、学習したイメージを脳が見せているんだと思うわけ。
夢と同じ・・・だと思う。
作り話の記憶が、いつのまにか本当の記憶にすりかわったりするでしょ。
脳にはいろんな情報が無意識のうちに記憶されてるから、
それらを組み合わせて有り得ないイメージを見せてくれたりすると思うんだよ。
痛みを止めるためにモルヒネなんか投与されると幻覚見るじゃない。
脳が混乱するととんでもないモノ見せるからね。
本人にするとそれは現実であり、体験は真実だからさ。
脳が見せたものはその人にとって実体験なんだよね。
脳が見せる世界の中で生きているわけだから、見ちゃったものは当然真実さ。
他人と共有できるできないとは無関係にね。
世界は小さい。
だけど、人の数だけ世界は存在する。
個人で考えると、見ることができる、感じることができる範囲でしか世界は存在しない。
人と関わると、その人の世界と共有できる部分が少しだけ発生する。
そうやってちょっとずつ繋がって、全体としての世界は大きく存在しているんだと思う。
なので、僕のいる世界はとっても小さい。(笑)
でも、今はいろんな情報が入ってくるので、昔の人よりは世界は広がってるかもね。
いろんな情報をインプットされてその人の世界が構築されるわけだから
人の数だけいろんな世界が存在しているに違いないのさ。
・・・などと、最近思ったりする。
ちなみに僕は霊感ゼロ!!(笑)
筋金入りの鈍感だから、その辺で音が鳴っても気が付かない。
何か変化があったとしても絶対気が付かないよ。
五感が鈍いもんだから、そいうの全然ダメ。
僕には不要の世界だから別にイイんだけどさ。
親父の葬式の時に、片方のロウソクだけ炎が大きく揺れてて
あぁ~あそこだけ風が通ってるんだなぁ~面白いなぁ~と思うわけ。
今度は反対側のロウソクの炎から黒煙っぽいのが出てるのが見えて
へ~不完全燃焼っぽいよなぁ~とか思うわけ。
僕はそれ以上でもそれ以下でもないんだよ。
人によっては、そこに意味付けする人も絶対いると思うのよ。
そこに何かを感じる人もいるはずなんだよ。
それはそれで別にイイのよ。
見えたもの、感じたものでその人の世界は構築されるわけだから。
僕の場合、こうやっていろんな事を考えたり、思ったりするキッカケが
出来るってことに意味はあるのかなぁ~と・・・。
親父が逝ったことで、いろんな事があって、普段考えないことを思考する。
こうして意味のない事を書いてたりさ。
たぶん、こういうものの一部が歌ネタになるのよ、いずれね。(笑)
何かのワンフレーズに化けたりするわけさ。
時々、これイケる!とか思っちゃうのよ。(爆)
この世界観は歌に使えるとか・・・しょうもないね。
読む人のこと全然考えてないもんで・・・すんまそん。
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