ふと、思う。
僕は結構~親父の事を書くことが多い。
昨日も書いていたけど、意外と僕は親父の事を意識している。
ここ数年、親父が癌の総合商社?状態になって、
関わる事が増えたせいかな?と思ったりもしたが、
よく考えると若い頃から親父の存在を意識していたように思う。
正直、父親としての親父は別に好きでも何でもない。(笑)
ろくに口も利かなかったし、会話した記憶などほとんどない。
結構、くだらねぇ~と思う事もあったしね。(爆)
でも、自分の好きな事に没頭している姿は尊敬に値した。
僕が大学生だった頃、ふと思った事があったんだ。
僕は年を取っても親父のように好きな事をやり続けているのだろうか?
僕は親父の年になっても歌を作り続けているのだろうか?
これは言うほど簡単な事じゃないかもな・・・ってね。
そういう部分では、親父は偉大な趣味の人だったのさ。
家族そっちのけ(笑)、いや子供そっちのけ(爆)
オリジナルの居合道吟なんてのも作って発表していたりして、
なんだよ!ジャンルが違うだけで僕がやってる事と同じじゃん!!
そう、気が付いてから、すげ~意識していたように思う。
たぶん、僕は親父の事を羨ましく思ってたんだな。
そうそう、初めて僕が自分の子供を抱いた時、
親父が僕を抱いた瞬間とシンクロしたんだよ。
僕の意識は一気に過去に戻って、僕は親父の目を通して僕を見た。
ほんの一瞬、意識が飛んで、ワープした感覚だった。
これが血か・・・受け継がれたDNAか!とか思ったよ。(笑)
(その瞬間、作詞モードに入って意識がフル回転してたと思われ)
以来、僕は親に対して、少しだけ優しくなった。(爆)
歌の中で”親の愛を知る”とか、”受け継がれる”とか、
そういうフレーズをよく使うようになったのもそのせいだろうな。
でね、ちょっと可哀相なことに気が付くんだ。
僕は、お袋の事を全然意識していないって事に・・・。
歌の中で、お袋を意識するようなフレーズって書いたことないもんなぁ~。
歌に限らす、お袋の事はほとんど書いたことがないよ。
親父の病気の関係で、親父同様に絡む機会が増えたんだけど、
増えれば増えるほど、お袋は全然使えないし・・・、
せめて自分の事くらいちゃんとしなよ!と文句しか言ってないかもだ。
親父のこの生き方を容認したことがお袋の偉大なところだったのかもね。
そんでもって、ふと思うわけよ。
もしかして、これはファザコンか?(爆)
ん?ファザコンって女の子がなるものだっけ??
まぁ~親父のその生き方を羨ましく思う自分がいて、
会うとウザイから会話もほとんどしなくって、
親父と息子なんて、そんなもんだよなぁ~と改めて思うのであった。
当然、これは僕と祐也にも当てはまり、たぶん繰り返されるのよね。
親父と爺さんとの間も、きっと同じだったに違いない。
そう考えると、非常に面白いよね。
血は面白い・・・、そうやって受け継がれる血は面白い。
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