ミュージシャンになりたい!アーティストになりたい!
そう思ったことは、実はほとんどない。
単なる憧れで、あんな風になれたらイイのに・・・くらいは思った。
まともな歌を作れるようになりたい!ただそれだけだった。
だから、今でも歌を作って唄っている。
若い頃、自分の中に才能を感じることができなかった。
客観的に判断して才能を見出すことができなかった。
ここでいう才能とは、真に秀でた才能!
誰もがすぐに気が付くような飛びぬけた才能って意味だ。
僕は何も持ち合わせてはいなかった・・・劣等感だけが僕を支配した。
中途半端な才能は身を滅ぼす。
それは周りを見ていればすぐにわかった。
それすらも僕にはなかったのは、なんだか悲しかった。
自分のためだけに唄おう・・・それなら誰も文句はあるまい。
自分で作った歌だから、上手に唄えなくてもこれは僕のものだ。
他の人には唄わせない!僕の歌だから・・・。
これが自分で唄うための自分に対する言い訳でもあった。
ヴォーカリストとしての自分自身の評価は低かった。
正直、とても上手いとは思えなかった。
何故なら、上手い奴は腐るほどいたからだ。
若い頃の僕は、劣等感の塊だった。
楽しく唄ってた記憶はほとんどない。
いつもいつも唄いながら辛くなってた気がする。
なんだかアホみたいだった。
それなのにステージに立ちたがったのは何故だろう?
そこに何かあるとでも思ってたのだろうか?
自己満足さえできない自分が常に嫌いだった。
もうやめちまえ!何度も思った。
でも、歌を書くことはやめられなかった。
何となく自分じゃなくなるような錯覚を覚えたからだろう。
そんな自分を見たくはなかったし・・・。
続けることは大切なことである。
誰のためでもない、自分のためだ。
意味があろうとなかろうと関係ないのである。
評価されようがされまいがどうでもイイことなのだ。
自分がよしとすることを続けることが重要なのだ。
間違っても昔はよかった!なんて口にしてはダメなのだ。
あの頃はバリバリで・・・なんてウソである。
過去を美化して栄光の日々みたいな妄想に浸るのはナンセンスだ。
今、どうなのよ?それだけである。
経験は才能を少しずつ補っていく。
どうすれば少しはマシになるのか?を学習していく。
才能のある人が1年で辿り付くところを10年かけて辿り付く。
ただそれだけのことだ。
他人と比較してないものねだりしても意味がない。
ただ、やめてしまえばそこで終わり。
人生は長い、途中何度も一休みしようが好きなことは続けるべきだ。
音楽との関わり方はひとつではないのだからね。
食うために必要なわけではない。
生きるために必要なわけでもない。
それを仕事にしている人もたくさんいるが、それが全てではない。
僕は好きだから続けている。
それ以上の意味はない。
僕が僕に望むことは、クソじじいになってもスナフキンしていることだ。
それだけで僕の人生は十分である。
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